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日本画家/田中一村 ホロスコープリーディング

いっそん

田中 一村(たなか いっそん)1908年7月22日 栃木県に生まれる

日本画家・田中一村は何よりも絵の迫力とその生きざまに心を打たれる、近代日本を代表する深みのある画家であります。
幼少期は南画の世界で神童と呼ばれますが、しかし時代の目線は西洋に向いている中で一村は中国清末から中華民国初期の画家などに影響を受けていたため、東京美術学校に入学しても師事する先生がおらず2か月で退学、以後独学にて絵の世界を深めていきました。
この東京美術学校の同級生には、東山魁夷橋本明治加藤栄三山田申吾らがおり、常に彼らの動向は意識の底にあったものと思われます。

千葉時代、奄美時代とどの時期を切り取っても、緻密な描写力に裏付けられたモチーフの力強い説得力・生命感が、画面いっぱいにリズミカルな構図と色彩を持って広がり、引き込まれます。
装飾性は琳派からも学び、西洋絵画にも学び、常に感性を磨き続けていたことが伝わるのです。
当時の日本画の中でも、一村の絵は明らかに異質で革新的な存在感を放っていると言えましょう。そして、こうした技術の殆どを独学で身につけており、様々な試行錯誤を経て「一村様式」を生み出しました。

絵に対するこだわりと芯の強さはホロスコープにどのようにして現れているのでしょう。

まず真っ先に気になるのが活動宮のTスクエアです。
金星・水星・海王星の3つの天体が蟹座でコンジャンクションしており、自分の表現に愛着を持っていることが伝わってきます。
その3天体に対して山羊座の天王星がオポジションです。
目の前の情報を一つたりとも逃さない厳しい視点と分析力、革新的でユニークな表現、深層に浮かぶ曖昧なものを具体化させる描写力…それらを結び付け構図や色彩などに新しさを吹き込みますが、伝統やその集団の「色」は大事にするので、表現は納まるべき形に着地します。

牡羊座の土星からのスクエアはオリジナリティに対する強い意欲と、常に向上心を持って絵に向き合っていることを表しているよう。土星x天王星は温故知新の組み合わせですが、厳しく激しい性質で、独立的・個性的なのは良い事ですが偏屈さとして目立ちますし、海王星も関わるので浮世離れした人になります。

そしてこれも大きな特徴と言えますが、太陽がノーアスペクトですから「魂の目指す方向性」がなかなか見つけられず、周囲からの反応によって傷つけられ迷わされることも多かったのではないかと推察されます。
蟹座の最終度数付近ということも考慮すると、次の獅子座へ移行する準備として自己主張が外側に放出される・情報の取捨選択が行われていることが分かりますから、自己主張・迷いやすさは過分にあったと思います。

水星~金星期(8~25歳頃)にかけて、絵の世界で師事する先生は居らず美術学校を中退していますし、絵の哲学を語り合う友人も居らず、そして本人も病弱でありながら親兄弟の看護をして過ごしています。

◆方向性の指針となる人の不在による未来への不安感と不安定さ
◆絵を通して哲学を語れる友人の不在による孤独感
◆親・兄弟の看護・面倒を見る・家計を支えるために忙しく働く

これらは全て海王星のもたらす影響だと思いますが、土星の介入によって責任を負い、
自己鍛錬と努力によってカバーしています。
天王星が絡むことで、突発的な変更を余儀なくされる出来事もさぞ多かったでしょう(この人の狷介固陋な性質がそうさせていたとも言えるでしょうけれど…)。

この活動宮のTスクエア(あるいは海王星)によって生命を脅かす不安感が常に身近にある状態で、しかし海王星は非現実的な夢を見せ続ける星でもあるということが、一村のけた外れの才能を若くして開花させ、死の直前まで芸術に命を懸ける状況・環境を生み出した、とも言えるのですよね。
土星・天王星の影響も見過ごす事が出来なくて、曖昧で非現実的なもの(海王星のもたらす象意)を感覚的にキャッチし、現実に即した形で実現させるためには土星の力が必要不可欠です。
象意には単純に、良い・悪いだけで判断できない奥深い側面があることを思い知らされます。
魂の自己実現、というような視点から見ると、すべてが必要な要素なのでしょう…(;_;)

川端龍子の青龍社展をはじめ、院展、日展などの中央画壇に出品を続けるが落選が続き、時代の流れからまるで相手にされないような状況にいよいよ絶望して1958年、50歳で奄美へ移住します。

一村の金星にはドラゴンヘッド(未来に向けて可能性を伸ばすようなポイント)もぴったり重なります。
蟹座5度「列車に破壊された自動車」は戦闘的な姿勢で突進して、より強い存在に淘汰される経験を繰り返すが、最終的により大きな基盤に立って考える力を身につけていくという度数です。
月が牡牛座なので、そもそも自分の感覚や美しさに対するこだわりが非常に強いことが伝わってきますし、獅子座には火星・木星もありますから、自分の信念や哲学を曲げないで自己流の表現をすることに対する強い信念も感じられます。
自分よりも大きな存在・集団にも迎合する気は無いでしょうし、当然ながら「自動車=一村」の価値観が破壊されるような体験として現れるのかなと思います。
出生時間が分からない為ホロスコープは12時で出していますが、仮に前後6度としても
牡牛座の月ー獅子座の木星間で不動宮スクエアになるので、表現に関するこだわりは絶対に譲らないでしょうね。

ドラゴンヘッドに重なる金星は一村が胸に温めている芸術への熱意・改革的なエネルギーを内包し、未来へ向けたパワーを放出しているようにも感じられ、中央画壇や権威的な存在からは反抗的でいけ好かない・足並みを乱す奴という風に取られてもおかしくありません。
画壇(山羊座・土星的存在)の人々にとっては受け入れがたい存在です。
川端龍子(一村が自動車なら、龍子・青龍社や中央画壇は列車と言えます)は一村の存在を一目置いていたということですが、やはり時代の求める流れとは違った角度から新奇的なものを持ち込もうとする存在・一村に対して、受け入れられない大きな隔たりも感じていた事でしょう。

大きな絶望と強い信念を抱いて、それまで住んだ家を手放し、絵を燃やし、奄美へ移住することになります。
奄美では大島紬工場で染色の仕事をしながら生計をたて、一軒家を借りて農業を営みなますが、それまで孤独な一村を支えていた姉や支援者が次々に亡くなります。

ある程度資金が溜まると仕事を辞め、絵画に専念する…ということを続けながら孤軍奮闘し、東京(千葉?)で個展を開こうとしますが、それも実現することが無く、体調を悪くして昏倒したり、脳卒中で倒れて入退院を繰り返すなどして、1977年9月11日に心不全で亡くなります。最後まで中央画壇には認めらませんでした。
しかし現在、一村の作品は大きな魅力を放ち多くの人々の心を動かし続けています。
2021年1月には千葉市美術館で回顧展が開かれたことも記憶に新しいですね。

それまでの道のりは曖昧模糊とし孤独に迷い続けたものでありましたが、奄美の植生や豊かな自然との関わりの中で自分にとっての理想郷…あるいは根を下ろす場所を見出し、この地で芸術にその生命をかけて燃やし尽くしたのかと思います。

蟹座での3重コンジャンクションの強烈さ、活動宮Tスクエアによって動き続けることを余儀なくされる激しい状況、ノーアスペクトの太陽による迷いと生命力のパワフルさ…
蟹座は内向的で穏やかなサインですが、活動宮ならではの激しさを持ち、それによって多くの人を引き込んで「世界観」を拡大させるパワーに溢れた星座なのだという事を実感しました。

一村のドラゴンヘッド・金星の目指した「未来への可能性」に惹きつけられる、現代に生きる私たち。
田中一村は同時代の他の画家とは明らかに一線を画す存在だと思いました。


不喰芋と蘇鉄(クワズイモとソテツ)

これは一枚百万円でも売れません
これは私の命を削った絵で
閻魔大王えの土産品なのでございますから
(昭和49年 世田谷K氏宛の手紙)

参考文献

別冊太陽 日本のこころ274
田中一村 ”南の琳派”への軌跡
監修=大矢鞆音 

一村写真模写

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